« 祖国礼賛 | トップページ | DCへ »

『The False Friend』著者トーク会

こんばんはー。今日DCに戻ってまいりました。お昼過ぎにアパートに着いて5時間ほど寝たらすっきりしたので、予定どおり『The False Friend 』の著者トーク会に参加。

…って書いてたら今、著者のMyla Goldberg女史が1メートルくらい左を通っていきました。耳が隠れるショートカットにメガネ、茶色の襟付きピンクのカットソーに『ヴィーナスの誕生』みたいな絵巻物風膝丈スカート、白いタイツにストラップつきの乙女靴。元祖・オリーブ少女みたいなファンシーないでだちです。

彼女は、日本で映画も公開された『綴り字のシーズン [DVD] 』(『Bee Season』。しかも主演がリチャード・ギア×ジュリエット・ビノシュ)の著者だし、人気あるのかなと思ったら本屋さんの中に100席ほど折りたたみいすが並べられた即席会場は、半分ちょっとしか埋まってなかった。前回の『Super Sad True Love Story: A Novel 』の著者の回が満席+立ち見わんさか、だったのでちょっと拍子抜けしました。

(以下ねたばれありなのでご注意ください)

Q&Aセッションはほとんどがこの本のテーマである「子どものいじめ」について。いじめは昔からあったが最近はネット経由でいじめたりするのでいじめる側・いじめられる側の顔が見えなくなっていること、今も昔もいじめている側にはそんなに悪いことをしている意識がなかったりすること、子どもがいじめられたらどのような言葉をかけるべきか、などなど。

この作品でも、主人公の女性、Celiaが実は子供のころいじめっ子だったことが中盤になって周囲の知人の言葉から明らかになっていくのですが、Celiaは「えっ、わたしって、そんなにいじわるだったの…?」と思い悩み、弟に「ねえ、わたしっていじわるだった?」と聞く始末。いや、誰がみてもいじめだろう(それも悪質な)、って思うようなことを毎日執拗に失踪した同級生にしてたのですが、それを自覚するのはそのいじめられっ子が謎の失踪をしてから20年後。そんなに長い間自覚しないものかなあ。うーん。でも、自分がしたことよりもされたことのほうがよく覚えてるっていうからなあ。そうなのかも。

文章の書き方の理想は?という質問に対しては、物事の核心ずばりを直接的にそのまま書くのではなく、周りの登場人物に語らせるなどして、間接的にじわり、じわりとあぶりだしていく感じを目指している、と。『The False Friend』でも、同級生失踪事件の事実はあまり語られず、Celiaの話し相手である各登場人物が語る「20年前の記憶」が何パターンも提示され、それらを手がかりに読者が真相を想像する、という仕組みになっています。『藪の中』みたい。

あとは、「『蝿の王 』に影響されてません?」という質問も。答えは「ものすごく!子供のころ1回だけしか読んだことないけど、確実に作品に影響を与えてると思います」。

『蝿の王』は、大学のころ語学で隣だった席の男の子がずっと読んでて、「おもしろい?」と聞いたら「うーん、あんまり」。授業に毎回持参してて、進捗がはかばかしくなさそうだったのでほんとにいまひとつなんだろうなと思って今まで読んでなかった。今度読んでみようかな。

『綴り字のシーズン』では、スポットライトが当たる勝者側ではなくて、「敗者側」の子どもとそれを取り巻く大人たちの関係を書きたかったとか。アメリカでは小さい子どもたちの綴り字コンテスト(Spelling Bee)が大人気で、今でもTVでよくやってるんだけど、ひとにぎりの勝者の背後には当然ながら敗者側の子どもがおり、しかもそれが大多数。彼女は6歳と3歳の女の子のママなんだけど、子どもが日本で言うところの早生まれで、体が小さかったり、みんなよりうごきが遅くてからかわれて帰ってくると、「世の中には読むのが苦手な人、走るのが普通より遅い人、いろんな人がいるんだから、少しくらい生まれるのが遅かったからといってなんてことはないのよ」と言い聞かせているそうです。

アメリカっていうと子どものネガティブな部分は見なかったことにして、「あなたはここが素晴らしいからここを伸ばすべきよ!」とポジティブな面にのみフォーカスして押しまくるのみの教育してるのかなというイメージがあったけど、こういう影の部分をそのまま認めることによってサポートしてあげる人もいるんだなあ、と思いました。

« 祖国礼賛 | トップページ | DCへ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 祖国礼賛 | トップページ | DCへ »